これが頽落か(違います)

今日は大学図書館が閉館。
なので鶴舞中央図書館まで行ってこようかと思ったのですが10時開館というありえない事実を目の当たりにしてげんなりした次第(一息)
9時開館でもいいぐらい。
それにしても公共図書館って勉強しにくいからな……。
図書館の歴史からすれば、学習の場のはずなのに。


というわけで(誤用)、図書館には行かず一日のほとんどをコタツの中で過ごすという自堕落な生活でした。
昨日一日中図書館で勉強しても、今日何もしなかったら±0。
そうかっ! 自宅で勉強すればいいんだ!!(当然)


そんな自堕落な中でも本を読みました。>『工学部・水柿助教授の逡巡
専門関係以外で読書したのは久しぶり。
今日の文面がちょっと変なのは影響を受けている振り*1をしているわけですよ。


あとは、小説の設定を追加したりしてだらだらと。
それにしても、設定をわざわざ書くのに意味があるのかと思う今日この頃。
それぞれの登場人物の.txtファイルを開いて、情報を追加したことにちょっと満足した後、「こんなのちまちま書いてても詮無い」と思うのです。


というより、実際に文章書いているときのほうが、設定上何が不足しているかはっきりと分ることにやっと気付いたのかな。
『Pigeon Blood』でも本文の何倍もの量の設定がありますが、そのほとんどが本文書きに役に立たない。
ときどき作者が本編で出していない設定をデータブックにまとめて、出版する場合があるけれど、それってどうなんでしょう。
物語で使われてなければ意味がない。
物語の紹介で「明るい性格」などと書いてあっても無味乾燥でしょう。まったく参考にならないと思います。


やはり小説は「本文を書く」しかないのでしょう。
工学部・水柿助教授の逡巡』にもそんなようなことがちょびっとだけ書いてあった。まあ、それに影響されているわけじゃありません*2


現時点での考えなので、おそらく変わるでしょうが、ちょいと小説書いてみて考えたのはそんなところ。


進捗状況:『Pigeon Blood』28枚目。
1枚ずつしか進んでいないので、内容がいちいち書けない……。

*1:「振り」という言葉で思い出したけれど、今月号の『おおきく振りかぶって』は素晴らしい。

*2:2、3時間あれば読める軽い読み物ですからね。>『工学部・水柿助教授の逡巡