カントリーロード

耳をすませば』を観ていました。
わたしがこの作品を最初から最後まで観たのは高校のころです。
最初に観たときは、顔がにやけてしかたありませんでしたけれど、今回視聴して、なんというか、懐かしさを感じるようになりましたね。
曲の内容のせいもあるし、中学1年の英語の授業で初めて歌った歌だったなあ……Country road。
耳をすませば』版の方は小学生のころに聴きました。
それゆえ郷愁の感を得るのかもしれません。


主人公のシズク*1が物語を書くというところでも、考えたり。
彼女は短期間のうちに物語を書いて、自分を「試し」ました。
完成した作品の出来は良くなかったのですが、物語を書くというスタートラインに立つことができた。
わたしの場合、まだ「試して」ないんです。
ラインにすら向かうことをためらっていることを痛感。


他にも「高校に行かない!」とシズクが自棄になって言った言葉には一撃来ました。
わたしの場合は「就職しない!」ですが、主流から逸脱するという点でまったく違いはありません。
さらにシズクの父の「人と異なる道を行くのは大変だ」発言でさらに一撃。
わたし自身が困るのは自分の責任なのでよいのですが、わたしに何かを期待している人(主に両親*2)には、親子間の人並の幸福を与えられないことで、申し訳ない気分になります。
いかなる結果になろうとも、迷惑をかけないようにしたい。


ここ最近、むにゃむにゃ煩悶する日々で、受験勉強も論文準備もろくに進んでいなかったわたしには、刺激を受けるよい機会でした。


というわけで、これから(爆)物語を書きます。
ついでに勉強もして、本も読む予定……欲しいものは全部いただく魂胆ですよ。


私信:
書き終わるまで見せません(きっぱり)。
これはわたしの小説を書く際の流儀の一つによるものなので、ごめんなさい。
理解してくれると嬉しい。
あえて理由を言うならば、明らかに描きかけの油絵を観るほどつまらないものはない、ということとほぼ同じ。
ただし、最初の読者は、君に決めた!(ポケモンのサトシ風に)
「シズクの彼のおじいさん*3」役だ!

*1:注:念能力者ではありません。

*2:両親はわたしよりも一般的。

*3:シズクの物語の最初の読者。だからってわたしがシズクではありません。わたしはもっさい21エモンですから。